ねがいごといろいろ

好きなものおぼえがき、うれしい、たのしい、だいすき

マリウス雑感①

2018年上演の『音楽劇 マリウス』について、感想、その他もろもろつらつら思ったこと。箇条書きに近い。映画やその後の話を見ずに、劇だけを見て話しているのでご了承ください。

全体的にマリウス、お前~~~!(オブラート)みたいな感想なのでそちらについてもご了承ください。

 

 

主人公である、マリウスについて。

マリウスはマルセイユの街で、船乗りや街の人々を相手に商いをするカフェの跡取り息子。マルセイユの街を愛し、幼馴染のファニーと相思相愛でありながらも、どこか毎日に退屈を感じ、海への、旅への憧れを抱き続けている。


マルセイユの人々が歌う歌の中で、「哀れなお前」と言われるマリウス。

マリウスは哀れな男だし、愚かな男だなとも思います。というよりも、マリウスはきっとどこまでも青く、劇中の誰より子供だったのかなぁ、と。

一幕ではマリウスもファニーも互いに互いの思いをぶつけ合うような若い二人の恋が描かれていましたが、一幕でマリウスに抱かれたこと、二幕で母になったことで、ファニーの方は少しずつ大人の女性になってしまう。一方でマルセイユを出たマリウスは、置いてきたファニーへの熱情、故郷への思慕を燻らせたまま、立ち止まっているように見えました。

 

一幕のマリウスは、気のいい、働き者の頼れる青年として描かれています。ファニーにとって頼れる兄のような存在でもあるマリウス。贔屓目もたっくさんあるんですが、照史くん本人の愛嬌とあいまって、男性的な色気がありつつも可愛らしい少年性も持ち合わせた、様子がいい、とにかく様子がいい、色男だな~~~!と思います。よっ、色男!

一幕冒頭で帆船の模型を片手に航海を夢見るマリウス。その顔は無邪気で、希望にあふれていて、個人的には劇中で一番幸せそうだったんじゃない?と思うくらいの笑顔でした。(ショータイム除く)けれどもピコアゾーの計らいでその夢が現実味を帯びてくるにつれ、同時にファニーからのアプローチを受けるにつれ、夢と愛の狭間でマリウスは苦しんでいく。

 

私はずっとマリウスのことをクズだと言って憚らないけれど、マリウスがファニーのことを想い、自分の海への憧れと天秤にかけてファニーを選ぼうとしなかったことは誠実だったと思うし、旅への夢を押し殺してファニーを選ぼうとしたことも本当だったと思います。一幕だけ見るとマリウスの行動、そこまで不思議には思わないです。マリウスが結局出て行ったのも、ファニーが焚きつけたからというのも大いにあるだろうし。まぁあんな大嘘、あっさり信じるなよ!という気持ちはあるけれど。

歌でも語られているとおり、マリウスの海への憧れは決して穏やかなものではなく「熱病にも似た」苦しみと葛藤を伴うものとして描かれていて。それがあの、アンダルシアへの憧憬を語り、フラメンコを踊る時の怒りに燃えるような表情に繋がっていたのかなぁ。ファニーはきっと、マリウスの腕の中でひと月を過ごすうちに、その燃え立つような焦燥を感じ、今はそばにいたとしても、一度火が付いたならすぐにでも自分の目の前からいなくなってしまうに違いないという、諦めを抱いてしまったのかな、と思います。

 

で、問題は二幕だと私は思っているのですが。

マリウスからセザールに送った手紙。「憧れの海の上で僕は今幸せです。だから心配しないでください」なんて、形式的で出てった人のテンプレートみたいな文章が書いてあって。それはいい。それはいいんですけれども。その後、舞台はマリウスの独白へと続く。手紙には綴らなかった、本当の気持ちを切々と歌い上げるマリウス。狭い船室の中、丸窓にファニーの幻影を見て毎夜涙を流すマリウス。

 

…いや、海の上もうすこし楽しんでよ!?

 

背中を押すことを選んだのはファニーだとは言え、ファニーのウソを信じて喧嘩別れのような状態で出て行ったのだとはいえ、あまりに、あまりに身を引いたファニーが報われない。

ファニーは「マリウスの幸せが私の幸せ(だからマリウスを海へ行かせた)」と歌うけれど、当のマリウス全然、もうびっくりするほど幸せそうではなくて、それどころか毎晩泣き明かしてるらしいんですよ。いやもう少しでいいから幸せそうな顔してくれよ。熱病はどうしたんだよ。熱下がってんじゃないわよ。

 

そして一年半後、船がドッグ入りしたことを契機にマリウスはふたたびマルセイユの街へと降り立つ。


セザールに「何しに来た」と言われ、「父ちゃんの身体が心配でさ。あとファニーにもおめでとうと言ってやろうと思って」と答え、父にファニーにどのツラ下げてそんなことを言いに来たんだと怒られるマリウス。「久しぶりに帰ってきたのに、そんな言い方ないじゃないか…」と悲しげに零す声が、すごく子供っぽいんですよね。

二幕終盤のマリウスは、終始子供じみているなと思う。一幕よりもむしろ子供っぽい。父への甘えが見える悲しげな声も、どうしていいかわからなくなったときの惑う声も、ファニーと子供の権利を主張するときすらも、子供の癇癪じみている。


マリウスは自分が子供の父親であり、正当な権利があるというけれども、その姿は人の親からは程遠い、彼自身が子供に見えて。坊やへ無償の愛を注ぐパニスや、母であるかはさておき、大人の女性になったファニー、そして彼の父であるセザールと対比されることでより一層そう見えて、冒頭でも言った通り、マルセイユを離れた間、彼の時計は止まったままだったのかなぁと思いました。

 

あとそもそもファニーの子供の父親が自分だとわかったときのマリウス。「ファニー、本当は俺のことが好きなんだ。そうだろ?今でも俺のことが好きなんだ」とのたまった上に(事実だけど!)、「キスしていいか?」って聞いて、ファニーが一応拒んでも強引にキスをするところ、シンプルにクソ野郎~~~~~!って感じなんですけど、マリウスにしてみたら、あれが一度は手放したファニーを手に入れる最後のチャンスだという思いだったのかなぁ。一年半ファニーを手放したことを毎日後悔して、それでもファニーは他人のものになってしまって、そのファニーの心が本当は自分にあり、なおかつ子供も自分の血をわけた子だと知ったとき、もう是も非もなくなってしまったのかもしれない。

それとマリウスの中でどこか、パニスを馬鹿にするというか、嘲る気持ちがあったと思うんですよね。若く美しいファニーに不相応なパニス。金でファニーを手に入れたパニスパニスの愛は不誠実で、自分の愛は真実だという気持ちがマリウスの中であったんじゃないかと思います。セザールが「人の女房や子供を盗むやつはいなかった!」と怒鳴りつけたのに「盗むなんて、そんな…」と答えたり、ファニーと子供を連れて行こうとするマリウスにファニーが「法律が許してくれないし、神様だって許してくれないわ!」というセリフがありましたが、逆にマリウスは自分とファニーの愛は正しい、神様は赦してくれると思っていたんじゃないかなぁ。勝手な想像だけれど。

 

話が前後しますが、パニスが大慌てて子供を病院に連れていくとき。オノリーヌやクロディーヌが「あの人、本当に子供のことになるとおかしくなっちゃうんだから」などと言って出ていくのを聞きながら、マリウスの表情がどんどん暗くなっていくんですよね。本当はあの時にわかってしまったんだろうなぁって。パニスが本当に子供を愛していること。今このマルセイユにとって、自分こそが異分子であること。自分がファニーや、子供をもう手には入れられないこと。

それでもファニーを連れて行こうとするマリウスに対し、ファニーは「あの人を裏切ることはできない」と拒み、パニスがファニーの気持ちを思って身体に触れることはなかったことを告げる。

そこでマリウスは自分の「あやまち」を悟り、父親に別れを告げ、愛するマルセイユを、ファニーの元を立ち去る。街の人々が「何処へ行く」と歌うけれど、マリウスは本当に一度の欲望で、一度のあやまちで、帰るべき場所や愛する人、そのすべてを失ってしまった哀れな男だったんだなぁと思います。それを見送る、子供を手に入れたはずのパニスの表情もひどく陰鬱で、哀れむようなものなんですよね。この結末を望んでいた人、誰ひとりいなかったのになぁと思うと、遣る瀬無い気持ちになる。


海への憧れというか、街の外への渇望というのは、あの街で暮らす若い男は誰もが抱くものとして描かれているように思いました。マルセイユ自体は平和で、のんびりとした街でありながら、港町なので非常に外の世界に近い場所でもある。マリウスの外に出て行きたい思いに、マリウスより年上の男性たちは概ね「わかる気がする」「私にもあった」と理解を示す。それでもその欲望と折り合いをつけてマルセイユを選んだ街の人々と違って、マリウスはそうすることができなかった。一方で、折り合いをつけてマルセイユで暮らすことを選んだのがプティだったのだと思います。

別にマルセイユで暮らすことが正しいわけではなくて、マリウスのその選択自体は責められるべきことでは無いのだけれど。折り合いをつけて止まるか、全てを投げ出して本当に全てを捨てるのか、その非情な二択しかなかったんだろうなぁ、本当は。どちらも選べなかったから、ああいう結末になってしまったのかなぁ。


私はその後、マリウスはマルセイユの地に戻ることはない、少なくとも彼はこの時点では今生の別れだと思って立ち去ったんじゃないかなぁと思いました。その後の話があるのも、その内容もうっすら存じているのですが、観たときに思った感想として。

 

 

あとこれは余談ですが、最後、オノリーヌやプティと言った人々も含めて「マルセイユの人々」という舞台装置として歌を歌う構成、そこに加わらないマリウス、ファニー、セザール、そしてパニスという構図が、物語を浮き彫りにしていて個人的には好きでした。名前のあるキャラクターたちも、マリウスに特別な感情のあるものたちも、すべてマルセイユの人々という一つの風景に徹するっていうのが演出として面白かったです。そういう意図じゃなかったらごめんなさいなんだけど。