ねがいごといろいろ

好きなものおぼえがき、うれしい、たのしい、だいすき

拝啓、太陽の国、あるいは松竹座へのファンレター。

拝啓、桐山くんへ。

 

梅雨も明け、早くも太陽の眩しい季節になりましたがいかがお過ごしでしょうか。

ファンレターには書きそこねたなんだか湿っぽい自分語りをここに記しますこと、お許し下さい。

あなたのためでは全然ないけれど、私は私のためにこうして筆を(PCだけど!)取ることにいたします。

 

 

4月4日、「マリウス」の代役に桐山くんが抜擢されたとのNEWSが流れた。私がそれを知ったのは、友人からのLINEだった。本当に驚きすぎて、うれしくて、冗談抜きに貧血を起こして崩れ落ちた。鉄分不足、ダメ、絶対。

 

主演、主演、桐山くんが、主演!

諸々の事情や数々の思いはあれども、正直桐山くんの1ファンとしては本当に嬉しかった。昨年の舞台で見た桐山くん。ラジオでミュージカルをやりたいと口にしていた桐山くん。楽しそうにお芝居の話をする桐山くん。いろんなことが頭の中を駆け巡ってクラクラした。あと大阪と聞いて、交通費のことを考えて別の意味でもクラクラした。

 

 

私は、松竹座時代の桐山くんのことを知らない。

 

私が転げ落ちるように彼のファンになったのは2年と少し前のこと。それまでジャニーズのファンですらなかった私は、桐山くんのことはおろか、「関西ジャニーズjr.」なる集団が存在することすら知らなかった。そもそも、ジャニーズjr.って小さい子だけじゃないの?大きい子もいるの?みたいな世界の人間だったのだ。

そんなわけで当然、ジャニーズに縁がなく、ついでに関東住みだった私はJr.時代の桐山くんのことなど知る由もなかったし(厳密に言えばごくせんを見ていたはずなのだが、本当に記憶にない)、Jr.時代の映像としてテレビで流れたり、ネット社会で拾い見できるのはほとんどが少クラなどのテレビの映像で、松竹座に立つ桐山くんを唯一映像としてみたのは、親しくなった子が厚意で見せてくれた少年たちの映像くらいだった。

 

知らないことについて嫌な思いをしたことがあるわけじゃない。

知らないことを誰かにとやかく言われるようなことは有難いことに決してなかったし、アイドル本人たちは「いつ好きになろうがファンはファン」だと繰り返し言葉にしていた。中間くんなんかは特にストレートで、度々ファンレターで「昔からのファンじゃなくてごめんなさい」という言葉を受けること、そういうファンのためという意味も含めて(そして当然昔から応援してくれているファンへの感謝の思いとしても)、はじめてのドームコンサートで、映像化されることを見越してJr.時代の曲コーナーをやったと語っていて、新しいファンとして本当に嬉しかったし、とても敏い人だなと感心もした。

 

それでもやっぱり松竹座時代の話をみんなが口にするたびに、興味があったり、羨ましかったり、すこしだけ寂しかったりしたのは本当のことだ。ファン心理というのは至極厄介なものだと思う。ファン全体みたいな顔したけど、要するに私個人がワガママでめんどうくさいって話である。

 

昨年のアマデウス、大阪公演に行くことを決めたのも、心のどこかには「松竹座」という場所に憧れみたいなものがあったというのも理由の一つだ。

松竹座での上演があることを踏まえて、桐山くんは松竹座時代の思い出や、その舞台にこういった形で立つことへの気負いをインタビューなどでたびたび口にした。それを読みながら、せっかくならその晴れの舞台に立つのを見てみたいと思い、大阪へのチケットと切符を手配し、新幹線に乗り込んだ。

はじめての松竹座は、その物々しく美しい外観にまず圧倒された。東京公演が行われたサンシャイン劇場は商業施設の中にある劇場で、そのギャップがあったことも大きい。歌舞伎の劇場だということはわかっていたけれど、実際に行ってみると他の劇場との雰囲気の違いが物珍しかったし、そもそも売店で食事を売っているのがカルチャーショックだった。幕の内弁当って本当にあるんですね。

ただ、公演自体は東京でも見ていたこと、アマデウスという演目自体に私が夢中になっていたこと、最後の観劇だったので舞台を見たりいろんなことを考えるのに集中していたこと、メンバーと観劇が被ってなんとなく客席自体が浮き足立った雰囲気だったこともあって、松竹座公演だから、みたいな気持ちは特になかった。

 

今年は舞台はないのかな。そう思わせるようなことをラジオでたびたび口にしていた桐山くんに、次の舞台が決まったのは突然だった。先輩の代役として、ずっとお世話になってきた、彼らが「ホーム」と呼ぶ劇場からの指名。桐山くんは何度も「先輩の舞台を守りたい」と口にした。

アマデウスと違って今回の公演は松竹座での上演しかなく、考える暇はなかったし、諸々の事情から申し込み期間も(これはいつもだけど)短く、というかそもそも落選したので一般でチケットを申し込んだりとバタバタと時間が流れていって、気づけば私は大阪にいた。

 

私はマリウスの筋書きをほとんど知らず、人情喜劇という言葉から勝手にそれなりのハッピーエンドを迎えるような気がしていたので、静かに崩れゆく街の均衡に、身も世もなくボロボロと泣いた。暑いからタオルハンカチを持ってきて良かったって、ぎゅうと握り締めながら思った。ありがたいことに複数回観たけれど、観るたびに同じところで、そして違うところで頭が痛くなるほど泣きじゃくっていた。

基本的に私は誰に感情移入するわけでもなく、交錯する想いに、すれ違うひとびとに、ままならない展開に心を動かされていたけれど、ひとつだけ、ストーリーとは関係なく泣いてしまったシーンがある。

 

二幕、マリウスから父、セザールへの手紙をファニーが読み上げるシーン。

マリウスが歌いだす。夜の海の上、月明かりだけに照らされて。遠いマルセイユの街にいるファニーと重なり合う声。

僕は今、幸せです。あなたの幸せが幸せなの。

ふたりの幸せが重なって、やがて舞台にはマリウスだけが残される。

 

マリウスは船の上にいた。

セット転換の為に、薄い幕が下ろされた舞台。真っ暗な舞台の中、そこには、スポットライトに照らされた、マリウスが、桐山くんがたった一人居た。

マリウスのソロ。マルセイユを出ることを選んだマリウスの、後悔やファニーへの想いを切々と歌い上げる、悲しいけれど力強い声。

 

私、今、松竹座に立って、歌っている桐山くんを見ているんだ。

私にとって最後のマリウスの観劇時、あの瞬間、私はストーリーの中に生きるマリウスではなく、私の好きなアイドルの桐山くんを見ていた。ふと自分の中の立ち位置が「ファンである私」に収まって、いろんなことが頭をよぎった。アリーナの、そしてドームの、大きなステージで歌うきらきらしたアイドルの桐山くん。桐山くんを代役にと、推挙で主演を任されたこと。昨年のアマデウス。映像の中でしか見たことのない、デビュー前のぎらぎらした桐山くん。

すべての景色が重なって、桐山くんを見ながらじわじわと目頭が熱くなった。うつくしい人だと思う。素敵な人だと思う。大好きな、アイドルだ。

 

彼が、彼らがホームと呼ぶ場所で、座長公演というすてきな夢を見られたこと。うれしかった。過去には決して遡れないけど、今好きであることは確かで間違いのないことだった。ファンをすることなんてどこまでも自己満足で、その自己が満ち足りるようなものを見られたことを、どうしようもなく幸せに感じた。

 

お芝居がしたい、歌が歌いたい、いろんなことをやってみたい。夢と愛に揺れるマリウスの人物像を語るとき、桐山くんは「僕もいろんなことがやりたい人だから」と自分を評した。

桐山くんが見せてくれる夢はいろんな色をしていて、そのどれもがすごくきれいだ。一歩ずつ踏みしめるように進み、夢を叶えてゆく桐山くんを見て、ファンってなんて楽で、楽しくて、苦しくて、浅はかで、幸せなんだろうとたびたび思う。

 

明日には違う人に夢を見ているかもしれないし、ファンなんて、オタクなんて、私なんて、とんでもなく身勝手な生き物だ。それでも、すごく楽しい夢を見せてもらったから、しょうもない夢日記を形にしたかった。エゴ丸出しで、ごめんね。

 

 

暑い日が続きますが、体には何卒気をつけてください。これからも、たくさんの夢を見て、見せていただけますように。今後のますますのご活躍を、心よりお祈りしております。敬具。

 

2018年6月30日 私より